2017年8月11日金曜日

私的『どうすれば他人を羨まないようにすることができるのか』考

どうすれば他人を羨まないようにすることができるのか
このことについて考えてみる。

『他人を羨まない』ということは
『他人を羨むことをしない』ということだ。
では『他人を羨むこと』とは、どういうことだろうか。

このことを考える際に何かしら役に立ちそうな記事を
以前書いていたようなのでリンクを貼ります。
私的『嫉妬』考

>A君が、B君がアイスクリームを食べているのを見て
>いいなぁボクも(あのB君のようにアイスクリームを)
>欲しい(そして食べたい)、と思うようなことである。

>A君は
>B君が食べていたアイスクリーム(1)を食べることが出来たので
>心理的にA君とB君は同じ位置にあるように一見見える。
>(A君=B君)
>しかし、A君にとって
>B君が自分より先にアイスクリーム(1)を食べたこと
>が気にくわない。
>A君にとってはまだ、A君<B君なのである。
>A君にとってはまだ、A君<B君なので
>別の形でB君に対して優位に立とうと
>無意識に思ってしまうのである。

このことから
A君にとって、心がまだ満たされていない状態なので
B君を羨むという状況が起こっていると読み取れそうだ。
つまり
『他人を羨む心の状態』=心がまだ満たされていない状態
ということだろう。

A君は、物理的に満たされている状態なのに
精神的に(心のどこかで)
まだ満たされていると感じられないことが
原因のように私には思える。

これは、例えるなら餓鬼のような状態だと言えるだろう。

餓鬼とは、概要

>俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされているが、
>仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、
>物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が
>死んで生まれ変わる世界とされる。
>しかし大乗仏教では、後々に死後に生まれ変わるだけではなく、
>今生においてそのような行状をする人の精神境涯をも
>指して言われるようになった。

>餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも
>手に取ると火に変わってしまうので、
>決して満たされることがないとされる。
>長期的な飢餓状態の人間が発症するクワシオルコルの特徴である、
>痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上り、足の甲が浮腫んだ姿が
>描かれることが多い。
(wikipediaより)

精神的に(心のどこかで)
まだ満たされていると感じられないことが原因ならば
精神的に(心のどこかで)満たされていると
感じられるようになれば
『羨む』ということが起きないのではないだろうか。

精神的に満たされる、という状態は
不安がないという状態で
不安定という状態ではなく、安定という状態であり
完璧という状態であり、欠けがないという状態であろう。
つまり
『欠け』があるので
物理的にその『欠け』を補おうとするが
手に入れたものは探し求めている『欠け』ではないために
いくら物質的なものを手に入れても
『欠け』を補うことができないので
精神的に満たされることがない
のではないだろうか。

『欠け』が抽象的すぎて分かりにくい向きがあると思うので
身近な言葉に置き換えてみる。
『欠け』=『足りないもの』
つまり
『足りないもの』があるので
物理的にその『足りないもの』を補おうとするが
手に入れたものは探し求めている『足りないもの』ではないために
いくら物質的なものを手に入れても
『足りないもの』を補うことができないので
精神的に満たされることがない
のではないだろうか。

A君の心を満たすために『足りないもの』は何であろうか。
いくら物質的なものを手に入れても
『足りないもの』を補うことができないのならば
『足りないもの』は恐らく物質的なものではないだろう。

精神的に足りない、という言い方をすると
A君が、いかにも精神障害者のように聞こえてしまうので
この精神的飢餓状態を
『心が満たされない状態』と位置付けよう。
精神的飢餓状態を
『心が満たされない状態』と位置付けするもう一つの理由は
この精神的飢餓状態は、
よほど悟った人でないなら、ほぼ誰もが持っていることなので
精神的に足りない、という言い方をすると
この場にそぐわないからである。

一度、ここでまとめてみる。
『どうすれば他人を羨まないようにすることができるのか』
それは
『心が満たされた状態』になることで解決できそうだ
といえるだろう。

私的『涙』考


涙を流す
人は、どんな時に涙を流すのだろう

大別して2つの場合に分けられると思う。
1つ目は、悲しい時に流す涙。
2つ目は、嬉しい時に流す涙。

悲しい時に流す涙は、別れに直結する。
身近な人の死に接すると悲しくて涙が出てしまう。
もっと言うと
自分にとって身近な人が死んで自分から遠くに行ってしまって
その人が、自分をもう助けてくれないと分かったから
自分を哀れに思い、悲しく感じる
だからその哀れな自分を慰めるために泣くのだ。

こう書いたらエゴではないか
と思う人もいると思う。
その通り、エゴなのである。

涙は心の汗と例えることがある。
人は、自分の心を支える人がいなくなった時に
不安になり、大いに傷つく(傷心)。
魂の形でいうと、存在がゆらぐ。
つまり不安定になるのだ。
だからこそ、涙を流して心の傷を癒すのだ。

2つ目の嬉しい時に流す涙は
共感した時に流す涙である。

嬉しいとは
自分にとって得られるものがあるから嬉しいのだ。
共感という視点から見ていくと
感動的な場面に遭遇すると
文字通り『心動かされる』のである。

同じ映画を見ても、途中で感動して何度も泣く人と
最後まで見ても泣かない人がいる。
感動して何度も泣く人は
その映画を ”自分のことのように感じることができる” のだ。

話は少し変わるが、
RPG(ロールプレイングゲーム)というものがある。
これは、自分が他人(ゲームの中の主人公)になったつもりで
そのゲームの中の世界を冒険したり
暮らすことによって過ごすゲームだ。
要するにこれは、子供のごっこ遊びの延長である。

あなたは親に言われたことがあるだろうか。
「その人の身になったつもりで考えなさい」
RPGは、これの練習ツールだと私は思う。

RPG(role-playing game)からgameのGを引くと
RPが残る。
RPは(role-playing)つまり、シュミレーションをすることだ。
その人の身になったつもりで考えること、なのだ。

RPGばかりを擁護するわけではないが
ゲームとはいえ、案外バカにできないものである。
おっと、話が逸れたかな。(笑)

映画をみて途中で感動して何度も泣く人は
自分が映画を見ながらも、映画の世界に入り込んでいて
映画の主人公になったつもりでストーリーを追っている。
その映画が恐怖・パニック・別れをテーマとしたものでなければ
その観客は主人公に共感し『心動かされ』
感動の涙を流すのである。

さて、私は冒頭で
>大別して2つの場合に分けられると思う。
>1つ目は、悲しい時に流す涙。
>2つ目は、嬉しい時に流す涙。
と書いた。

1つ目は
自分の心が不安定になるから涙を流して心の傷を癒す
と言えるだろう。
2つ目は
自分の心が共感によって心動かされ、涙を流す
と言えるだろう。

この2つの事象には共通項があるように思う。
それは何らかの事象によって
外部から自分の心に影響を与えられているということ。

ということはつまり
涙とは
外部からの刺激で自分の心に思わぬ影響を与えられたことで
自分の心(もしくは魂のあり方)を守るための手段
と言えるだろう。

人は、外部からの刺激で自分の心に思わぬ影響を与えられたことで
自分の心(もしくは魂のあり方)を守るために涙を流すのである。

手塚漫画

手塚治虫さんは、本当に大切なものが何かを
直感で知っていた漫画家さんなのだと思う。

真心とは何か、生命とはどんな存在であるか
宇宙の真理、倫理観などなど

私は手塚さんの作品を全て読んだわけではないけれども
読んだ人には大なり小なり
その重みが伝わるものと、私は信じている。

感想『W3(ワンダースリー)』

W3(ワンダースリー)という手塚治虫さんの漫画を読んだ。
前々からタイトルは知っていたし、気にはなっていた。
たまたま主人が、図書館から借りてきた本の中にあったから
読んでみるかなぁと思って読んでみたのだ。

まだ読んだことがない人には、是非読んでほしいと思う。

ごく少数の知っている人は知っているし
大多数は知らないし
知ったとしても嘘だろうと取り合ってもらえないのだが
今、地球は危機的な状況にある。

その危機的な状況から無事に脱することができれば
今までのように平穏な日々が訪れるかもしれない。
そうなった方が望ましいように思う。

危機的な状況が去った時には
気狂い、嘘つきと私は非難されるだろう。
それでも構わない。
何もないに越したことはないからだ。

例えば5年間、私が地球の危機的状況を想い、悩んで
心乱れる訳だけれども
5年後に
「残念でした、地球の危機なんてのは全部大嘘で
君があっちゃこっちゃへ慌てふためいて
僕の掌の上で踊っているのを見るのは楽しかったよ」
と言われても、全然へっちゃらだ。

なぜなら、私の人生の内の
たった5年間しか棒に振っていないからだ。
それだけの価値があることだと私は信じている。

だから知ってほしい。
今、地球は危機的な状況にある、ということを。
W3(ワンダースリー)という手塚治虫さんの漫画を
まだ読んだことがない人には
私は是非読んでほしいと思う。

私的『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』考

>心のどこかで ”あの人は自分達とは違うから” と
>違うところを探しては嫉妬したり、そこから嫌悪になったり
>さらに偏見や差別に発展するかもしれない。
>みんながみんな、聖人君子ではないのだから
>それは仕方がないのかもしれない。

今回も、ここに焦点を当てて考えていこうと思う。
『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』

基本的には自己と無自己との判別をすること
が基になっているように思う。
おおまかにいうと
自分の持っている要素と
自分が持っていない要素がある時に
ここからここまで自分、ここから向こうは自分じゃない
とグループ分けをすることで
自己と無自己との判別をするように思う。

自分と同じ要素が多ければ多いほど
自分に近いように感じるだろうし
自分と同じ要素が少なければ少ないほど
自分とは遠いように感じるだろう。

要素は色々ある。
例えば、遺伝子の配列、虹彩の色、性別、癖、衛生度合い、など。
本当に、挙げればきりがない。

自分に近いように感じるなら、グループを作るかもしれない。
無意識でグループを作る場合もあるし
意識的にも実際にもグループを作る場合もあるだろう。
自分とは遠いように感じる人は、グループの外に置かれる。
例えば
口に出さなくても「あの人、なんか苦手なんだよね」と
無意識にグループの外に置く場合もあるし
「仲間に入れたくない」、「仲間に入れてあげない」と
意識的にも実際にもグループから外に置く場合もある。

さて、グループ分けは誰が決めるのだろうか。
リーダー?
それともグループを構成している個々人が
無意識あるいは意識的に「私はこっちに近いから」
と判断したり考えたりした結果なのだろうか。

グループのリーダーが変われば
グループを構成している要素も変わるので
結果的にグループのメンバーも変化するようだ。
明確なリーダーという位置が存在するグループなら
リーダーはグループの顔であり、指標を示すものだろう。
そのグループの構成員は
「なんとなく」無意識的にグループに入っていたり
「ここに入ればメリットがある」など
意識的にそのグループに入る人もいるだろう。

明確なリーダーという位置が存在しないグループの場合は
グループの顔であり明確な指標を示すリーダーが不在ということだ。
そのグループの構成員は
「なんとなく」無意識的にグループを作るのだろう。
ここには「ここに入ればメリットがある」などと考えて
意識的にそのグループに入る人はいないのではないだろうか。

しかしながら
明確なリーダーという位置が存在しないグループというのは
実際に存在するのだろうか。
明確なリーダーという位置が存在しないグループという定義付けは
もしかしたら適当でないのかもしれない。
なぜなら、
明確なリーダーという位置が存在しないグループというのは
グループとして扱うべきものではないかもしれないからだ。
グループというより、むしろ個々人。
個人個人がバラバラに動いている無秩序な状態と
考える方が適当のように思えるからである。

話を『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』に戻すと
自分と同じ要素が多ければ多いほど
自分に近いように感じるだろうし
自分に近いように感じれば安心するのではないだろうか。
逆に
自分と同じ要素が少なければ少ないほど
自分とは遠いように感じるだろう。
自分とは遠いように感じれば感じるほど
不安に思うのではないだろうか。

分かりやすくいうと
「あの人私と同じ、一緒一緒」と安心するのではないだろうか。

仮に、不安に思うからこそ安心を求めるのが心の自然な流れなら
複数の人間がそこにいたらグループを形成する流れは
逆らえないような気さえする。

しかしながら、
グループから意図的に外された人ではなく
自らの意思でグループに属さない人もいるのだ。
不安に思うからこそ安心を求めるためにグループに入る人と
この人はどう違うのだろうか。
この人は、安心を求めるためにグループに入ること自体に
価値を見出していないのではないだろうか。
つまり、一人でいることを不安に思わないのである。

一人でいることを不安に思わないということは
自己を確立していると考えるのが私は適当のように思う。
自分はどのような存在であるかの定義を
自分なりに持っている人ということだ。
芯が強い人、と言ってもいいかもしれない。
だから他の人もいる集団に所属しなくても不安を覚えないのであろう。

では不安を覚える人は?
自己がまだ確立していない人という定義付けができそうだ。

『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』
の解釈として
『その人、Aさんは ”自分はどのような存在であるか” が
まだ自分で分かっていないために不安を覚える
故に
安心感を求めるために
他の人から自分と同じ要素や
自分と違う要素を抽出して選別するために
無意識に自分と他人との違うところを探すのだ』
というのが最も適当のように
私には思われるのである。

私的『嫉妬』考

>心のどこかで ”あの人は自分達とは違うから” と
>違うところを探しては嫉妬したり、そこから嫌悪になったり
>さらに偏見や差別に発展するかもしれない。
>みんながみんな、聖人君子ではないのだから
>それは仕方がないのかもしれない。

今回は、ここに焦点を当てて考えていこうと思う。

嫉妬するということは、羨ましい気持ちが強いということだろう。
「あの人は、あんなことが出来ていいなぁ」
と思う気持ちなんだと思う。
仮に、ここをスタートラインだとすると
ここから
”私もあんなことができるようになるんだ” と、努力を開始する人と
”私には無理だから” と
思考をそこで停止させる人とがいるように思う。

手探りでも自分なりに努力を重ねる人は
時間がかかっても目標に近づくことができるだろう。
思考をそこで停止させてしまった人には
恐らく発展はないだろう。

羨ましい気持ちは、どこからくるのだろう。
自分が持っていないものを他の人が持っていると分かった時に
羨ましくなるように思う。
A君が、B君がアイスクリームを食べているのを見て
いいなぁボクも(あのB君のようにアイスクリームを)
欲しい(そして食べたい)、と思うようなことで
もう一つ例えるなら
学生が、クラスメイトがデートをしているのを見て
いいなぁ私も(あのクラスメイトのように恋人が)
欲しい(そしてデートをしたい)、と思うようなものである。

物を持つ持たないで、優越感と劣等感が心の中に生まれるのだろう。
A君はアイスクリームを食べているB君を見た。
恐らくA君にとって、アイスクリームを食べているB君は
アイスクリームを食べていない自分(A君)より
上の位置にあるように感じるのだろう。
それはB君がアイスクリームを食べているという事実を
目の当たりにしたからではないだろうか。
B君がそのアイスクリームを食べてどういう感想を持ったかどうかは
ここでは問題にならないのである。

見たのではなく、聞いたと置き換えてもこの感情が成立することから
A君にとって
『B君がアイスクリームを食べている』
という状態にあるということが許せないのである。
B君が本当にアイスクリームを食べたかどうかが
事実か否かに関わらず、この感情は成立するように思う。
更にいうならば
B君がアイスクリームを食べていないA君に対して
どのような感情を抱いているかに関わらず
A君は劣等感を感じることができるのだ。
B君にとって、アイスクリームを食べることができる頻度は
毎日かもしれないし、一生に一度かもしれない。
そのアイスクリームは高価かもしれないし安価かもしれない。
安価ならば、A君も買おうと思えばすぐに買えるだろう。
けれども、劣等感を感じるのだ。

アイスクリームが欲しいと駄々をこねるA君に
おかあさんは「よそはよそ、うちはうち」と言う。
要するに、家庭の事情(教育方針や経済状況)が違うから
我慢しなさい、ということである。
”他人は他人、自分は自分” とも言い換えることができるだろう。

仮におかあさんがB君が食べていたアイスクリーム(1)
とは違うアイスクリーム(2)を買ってあげたとする。
これは代替行為である。
おかあさんはA君にアイスクリーム(2)を食べさせることで
カテゴリーとして同じアイスクリームを
食べたA君が満足するだろうと考えたのである。
しかしながらA君にとってアイスクリーム(2)は
B君が食べていたアイスクリーム(1)とは違うものなので
心の中では満足できないのだ。

アイスクリーム(1)がもし安価で、A君のお小遣いの範囲内で
買えるならばA君はアイスクリーム(1)を
食べることができるかもしれない。
しかし、A君は別のお菓子も食べたいと思っていた場合
アイスクリーム(1)を買うか
食べたいと思っている別のお菓子を買うか
せめぎ合うのである。
どちらをより食べたいかを頭の中で比較して考えて
より食べたいと判断したものを買うことになるだろう。

さてお小遣いの範囲でどちらも買うことが出来たならば
A君は満足できるのだろうか。
A君は
B君が食べていたアイスクリーム(1)を食べることが出来たので
心理的にA君とB君は同じ位置にあるように一見見える。
(A君=B君)
しかし、A君にとって
B君が自分より先にアイスクリーム(1)を食べたこと
が気にくわない。
A君にとってはまだ、A君<B君なのである。
A君にとってはまだ、A君<B君なので
別の形でB君に対して優位に立とうと無意識に思ってしまうのである。

2017年8月10日木曜日

地球温暖化説は嘘かもしれない の追記

しかしながら人工でも台風を起こしてくれないと
降雨がほとんど起こらない場合は、死活問題なんですよね。
そう考えると、必死にかつ、陰日向に日本国民の日常を
守ってくれているようにも思える。
守ってもらえているのは、物凄く有難いことなんだろうな。
もしそれがほんとうなら配慮してくださっていることに
感謝しないといけないと思うのです。
人工台風を起こしてくれてありがとう。

でもさ、それでもやっぱり…やっぱりなんだかもにゃっとする。
私の価値観からすると、隠すのは良くないと思うんですよ。
例えるなら忍者タートルズが表には出ずに市民の安全を
守っているわけだけれど、タートルズは普通の人間とは
見た目が違うのですよ。
危機的状況の地球環境を守ってくれていたヒーローたちが
実は、いたんです、と公に出してもよほど心が広い国民が
多くいる国でないと実際には
受け入れられることは難しいと思うんですよね。

心のどこかで”あの人は自分達とは違うから”と
違うところを探しては嫉妬したり、そこから嫌悪になったり
さらに偏見や差別に発展するかもしれない。
みんながみんな、聖人君子ではないのだから
それは仕方がないのかもしれない。

この状況って、どうやったら変えることができるんだろうか。

原爆実験をする度に地軸が2°ほど傾く可能性があるらしい。
地軸が水平になったら地球が死の星になるという話も聞くので
原子爆弾を全世界から解体してはどうだろう。
原子力発電所も解体して、その代わりにクリーンな
再生可能エネルギーの太陽光を今以上に
積極的に推進していくのはどうだろうか。

アメリカの技術では、近い将来に太陽の周囲に
太陽光パネルを張り巡らせてそこに住むという
移住計画もあるみたいだから、現在衛星に太陽光パネルを
取り付けているのの、大きい版をいくつか飛ばせばどうだろう。
表面積を大きくするとスペースデブリ対策が大変になるだろうから
デブリ対策の方が急務かもしれないけれど…。

なんというかね、うーん…やっつけ仕事というか
場当たり的な感じがするんですよね。
忍者タートルズさんのお仕事が、ね。
実際に自転がこんなに早いスピードで遅くなっていたなんて!
っていうのはタートルズさん達にとっては盲点だったというか
本当に想定外の事態だったんだろうなぁと
図らずも思ったことでした。


意外と愛嬌があるじゃないか。
どじっこ属性はもう、かわいいなぁ。
人間らしさが垣間見えて、なんだかちょっと安心した。
今夜はぐっすり寝れそうです。(笑)

地球温暖化説は嘘かもしれない

『もしも地球が止まったら』という動画を見た後に考えたこと。

地球温暖化による海面上昇説は、自転の遅れによる
海面上昇・下降を隠すための嘘の可能性があるということ。

・海面上昇は予想を上回るペース、NASA
→ http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/083100030/
(「NATIONAL GIOGRAPHIC 日本版」より)

ぐるぐると地球儀っぽいものが回っている動画の下に
小さな文字で説明の補足がされている。

>NASAの人工衛星は、1992年から2014年までの
>地球の海面水位の変化を測定してきた。
>地球儀上の青い色の海域では海面水位は低下していて、
>オレンジ色と赤の海域では上昇している。
>1992年以降、地球の海面水位は平均で約8cm上昇している。

地球温暖化の理論でいけば
間違っても海面の水位が低下することはないはず。
また、この動画の地球儀っぽいのは
南極域や北極域が描かれていない。
都合が悪いから、だろうか。

webで面白いシミュレーターを見つけた。
地球上の風の流れなどを図視化したものです。

地球;;風、気象、海洋の世界地図
→ https://earth.nullschool.net/#current/wind/surface/level/orthographic=127.19,31.23,353

このシミュレーターの地球儀と
NATIONAL GIOGRAPHIC 日本版の地球儀を比べて見てください。
NATIONAL GIOGRAPHIC 日本版の地球儀の方が
中南米とアフリカ大陸が同時に見える位置だとわかりやすいかも。

『もしも地球が止まったら』という動画を見た後に
水産学部で数年過ごして得た知識から
海水面の低下の原因や
エルニーニョ現象とラニーニャ現象のことについて説明がつきました。
自分で出した仮定に納得できてしまって、正直
うわぁ……と思っているくらいです。(汗)

自転が遅れてくると昼・夜の実質的な長さが長くなります。
すると地球上で太陽が通る場所は長い時間熱せられます。
するとそこが海の上なら海水が温められます。
海水が温められると、暖水塊になります。
これは、暖かくて軽い水の塊です。
赤道付近にできた暖水塊は重力(遠心力)が弱いので
2つに分かれて北極や南極の方へ移動します。
上にあった暖水塊が無くなったら
下から冷たくて重い深層海流が湧昇してきます。
太平洋でいうと、南米のペルー沖が有名かな。
深層海流は海の表面に一時的な冷水塊を作ります。

赤道上に暖水塊がある状態が1年程度続いたら
エルニーニョ現象が観測された、といわれます。
同じ海域で冷水塊がある状態をラニーニャ現象と
とりあえず気象庁は、よんでいるようです。

エルニーニョ/ラニーニャ現象とは
→ http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/data/elnino/learning/faq/whatiselnino.html
(「気象庁のHP」より)

海水面の低下の原因は、やはり
自転の遅れで赤道付近の重力(遠心力)が弱いため
今まで赤道付近にあったはずの海水が北極や南極の方へ移動した結果
今までの基準点よりも海面が低くなったように
見えているだけなんだと思います。

ちなみに水の都で知られるイタリアの都市ヴェネツィアでは
アックアアルタと言われる海面上昇が頻繁に見られているようです。
百聞は一見にしかずです。
動画があるようなので、それを見てみましょう。

ベネチアの「アックア・アルタ」! 水浸しになった街の生活風景
→ http://news.aol.jp/2012/11/09/acqua-alta-yahoo/
(「NEWS」より)

>アクア・アルタは、元々はイタリア語で
>満潮を指す言葉とされていますが、このベネチアでは
>定期的に発生する異常潮位現象に対して使われております。
>簡単に言えば洪水に近いもので、水位が高くなることによって
>ベネチアの街は水浸しになるというわけです。
>この水位の高さはそれぞれですが、酷いときですと
>テーブルを橋に(渡り廊下のようなものですね)しなければ
>歩行が困難なときもあります。
>時期は秋から春にかけて起きるもので、
>年々数が増えてきているとのことです。

ベネチアを水没から救う!「モーゼ計画」とは?
→ http://ecolife.tappy-style.com/archives/cat207/post_205/
(「ecoライフスタイル」より)

ヴェネツィアの場合は、アフリカ大陸から吹き寄せる
季節風も関係していそうですが、より緯度が高いオランダは
現状はどうなっているのでしょうか。

海抜ゼロメートルの国、オランダ
→ https://bulan.co/swings/under_the_sea/
(「Swings」より)

「デルタ計画」なるもので現状では凌げているようですが
今後は厳しいかもしれませんね。

話は変わりますが、人工台風というものがあるらしい。
台風を作ることはできるけれど進路がどう進むかは
簡単には調整できないものらしい。

こちらは2016年の台風10号の進路が見れます。

2016年、台風10号の異様な軌跡…HAARPによる人工操作の疑い、HAARPが関与していた?HAARPウォッチャー・井口氏!気象兵器HAARP(ハープ)の脅威、京都の米軍基地にも人工気象装置がある!
→ http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/a3c58eafb71f33cc9ca740e24bfd1b6d
(「みんなが知るべき情報/今日の物語」より)

こちらもどうぞ。

台風経路図 平成28年(2016年)
→ http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/route_map/bstv2016.html
(「気象庁」より)
【8】第10号(上陸)

台風経路図 平成29年(2017年)
→ http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/route_map/bstv2017.html
(「気象庁」より)
【7】第5号*(上陸)

日本では夏から秋にかけて台風が来るものだと
みんな考えていますよね。
だから人工的に台風を起こしているのでしょうか。
(数年前、知り合いが「夕立の時間が遅い」と
言っていたのを思い出してしまいました。)

多大な費用をかけて人工台風を起こしてまで
ありもしない地球温暖化説を信じさせるために
壮大な嘘をつくのはどうかしていると思います。

もう日本には、本当の四季は訪れないかもしれませんね。

おすすめ動画『もしも地球が止まったら』

2017年8月。
真夏のはずなのに積乱雲が立たず
全く夏らしくないと思う今日この頃。

You Tube の動画に『もしも地球が止まったら』
というシミュレーション動画がある。
→ https://www.youtube.com/watch?v=FA9SlGUrwgg

地球上の時計はイギリスのグリニッジ天文台を標準時として
太陽が地球を1周した時間を1日としてカウントしている。
そして地球上の1年は、地球からみて太陽が1周したサイクルを
1年としている。
そのことを踏まえて動画を見てみると
実際と違うところと、実際との共通点が見えてくる。

・実際と違うところ
時計の指す時刻と太陽の位置のズレ。
何日も昼や夜が続いているという表現。

・実際との共通点
自転が遅くなることにより重力(遠心力)が弱くなり
赤道付近に引きつけられていた海水が両極に向かって移動する。
地殻・マントル・核の速度差による大地震。
それに伴う火山活動の活発化。
ヴァン・アレン帯が薄くなることによる
人体に有害な宇宙線が地上により多く降り注ぐこと。
時差ボケ。
昼夜の温度差が極端になること。

もちろん、シミュレートにはあるけれども
実際に起こるかどうかわからないこともある。
極付近への空気の移動。

私が自転が遅れているということの根拠にしているところは
異星人からの情報だ。
・1964年5月 メキシコで開かれた国際会議に異星人が出席
「すでに地球の自転は、1分45秒遅れている」
(「ムー NO.440」より)
・2008年末には16時間を切ります。
(「プレアデスメシアメジャーが示す
「未曾有の大惨事」の越え方」より)

太陽の位置と時計の時刻が動画のように違っていたなら
あれ、なんかおかしいな、とみんなが気づいたはずです。
私が、より問題だと思うことなどはこちら。

・太陽の動きで1日を決めているため
 時計と太陽の動きにズレが生じない。
 そのため、ココが盲点になっている。
・ズレが表立っていない分、みんなが気づかないのが問題。
・日本が中緯度に位置しているため、変化が実感できにくい。
 位置的にも割と恵まれているんだなぁと思う。
・実際の減速スピードがシュミレートより
 今のところやや遅めなのがまだ救いかなと思う。
 だから余計気づかない可能性がある。
・今後の減速スピードについては未知数だということ。

この動画は、心の準備をするためにも
1度は見ておいた方がいいかも。

夜の徒然に考えてみたことを書いてみる

嘘をつく。
人は何故嘘をつくのだろう。
自分に都合が悪いから、だろうか。
それとも、本当の自分を知られることが怖いからだろうか。

ある人は嘘をつく。
それは他の人にほんとうのことを知られると
その人にとって都合が悪いから。

ある企業は嘘をつく。
それは他の企業にほんとうのことを知られると
その企業にとって都合が悪いから。

ある国家は嘘をつく。
それは国民にほんとうのことを知られると
その国家にとって都合が悪いから。

ある異星人は嘘をつく。
それは地球人にほんとうのこと知られると
その異星人にとって都合が悪いから。

私は、ほんとうのこと、知りたいな。

連想『天地創造』

 一つ前に書いた記事にある ”Death on the Silk Road” が
You Tube で見る事ができたので見ていたのですが
見ていてさすがに具合が悪くなってしまった。
 ゲームに出てくるデフォルメされた敵とはわけが違う
人間の奇形という異様さをリアルに目の当たりにしてしまい
心が乱れてしまった。
視覚からの情報というのは、本当に強烈な刺激を与えるものですね。

 ”Death on the Silk Road” 関連のweb記事も
その前後で読んでいたのですが、そこに出てきた
一つのことが少し私の中で引っかかった。
原爆の実験場になった砂漠を直線距離で移動せずに
何故か回り道をして楼蘭へと案内されたらしい。

話は変わるが、SFCの『天地創造』という
ゲームソフトをご存知だろうか。
1995年に発売されたゲームだけれども
ちょっとバカにできないような品質のゲームがある。
私が祖父母にねだって買ってもらったSGCと共に購入した
個人的にも思い出深いゲームだ。
それまでマリオとかカービィとかで遊んだことがあったこともあり
アクションRPGというジャンルに、さほど抵抗がなかった。
タイトルもワクワクすると思ったから手に取ったのもあるだろう。
CMとかも、あったのだろうか。
20年ほど前のことなので記憶は定かではない。
ただ、面白そう、興味深いタイトルと壮大なイラストに
心惹かれたことは間違いないと思う。

 心に引っかかっていたのは、このゲームのことだったのだと
数時間してから腑に落ちた。
地底世界から地上世界へと出向き
文明の発展と共に世界をめぐる主人公アーク。
ゲームの中盤にはチベットあたりが舞台となる。
 廃墟と化したロウランの街には人っ子一人いない。
夜になるとゾンビになった住人たちが蠢くという設定だった。
 ロウランをクリアするとタクラマカン砂漠を抜けるのだが
まっすぐ進んでも砂漠から抜けることができない。
遊牧民の村人から砂漠の歩き方を教わる必要がある。
いくつかの目印となるオブジェクトがあり
そこから示された方向へ手順通り移動することでクリアできるのだ。
 ロウランとは楼蘭をモチーフにしている街だろう。
何故ロウランが廃墟という設定なのか。
タクラマカン砂漠が迷路的な仕掛けを施されているのは
何故だったのか。

 1995年に発売されたゲームなのだから
発売から、しばらく前のシルクロードブームがあったけれども
死ルクロードと揶揄されるような原子爆弾の実験場の真実を
知っている製作者がこのことをゲームの要素として
織り込んだのではないだろうか。
もしかしたらそれは、私の考えすぎなのかもしれない。
けれども、どうしてもこのゲームを思い起こしてしまったのだ。

2017年8月9日水曜日

被爆71周年長崎原爆平和祈念日に思うこと

 私が、ごく最近知ったことに、第二次世界大戦中に
日本も原子爆弾の開発を目指していた、ということがある。
自分の国のことに全く関心を持ってこなかったことに
まず、謝ります。
ごめんなさい。

 核軍縮が叫ばれて、一時的にアメリカでも
核を廃棄処理した事があるはずです。
いくらお金がかかったとしても、その技術を広く公開し
各国が協力して核の廃棄に取り組むべきだと強く思います。

 中国が東トルキスタンの実験場で行なっている実験があります。
1964年〜1996年までの32年間で
46回も核実験が行われたそうです。
その核実験が行われた場所の近郊に住むウイグル人の住民は
19万人が亡くなったそうです。
 その当時、日本はシルクロードブームで
そのブームに乗ってシルクロードを訪れた日本人は
約27万人いると言われています。
この約27万人の健康への影響調査は未だ実施されていないそうです。

 イギリスのテレビ局が製作したドキュメンタリー
”Death on the Silk Road” という番組があります。
世界83ヶ国で放送されたらしいのですが
日本では放送されなかったそうです。
 それはなぜでしょうか。
中国が付近で核実験をしていることを知りながらその情報を流さず
逆にそこへ向かわせるような意図的なシルクロードブームを作り
メディア全体で煽っていた事が国民に知られてしまうのが
メディアにとって都合が悪かったからでしょうか。
第二次世界大戦で2度の原子爆弾を落とされ
核の情報に対して敏感になっている国民に
”そんなこと” を知らせたら混乱が起きるから
という ”配慮” から現実にあった事実を隠したのでしょうか。
 日本の国民は、そんなに馬鹿ではありません。
メディアによって、判断をするための材料のほとんどを
隠されているから情報貧困者にされているだけなのです。
 詳しく紹介することは、
ここでは論点がずれるのであまり触れませんが
その現場を端的に知りたい方は
手塚治虫の『時計仕掛けのりんご』という作品をご一読ください。

 話し合いのテーブルに着く前に、
あそこの国は、ここの国は、と思い込まずに
まず、話し合ってみましょうよ。
お互いの国の伝統衣装を交換して着てみましょうよ。
お互いの国の伝統料理を、まずは食べてみましょうよ。
きっと新しい発見があるはずです。
そうしたら、親しみが湧くはずです。

 親しみが湧けば ”もっと仲良くなりたい”
そう思えるようになるでしょう。
打算もなく掛け値もない友人を、私は素晴らしいものだと思います。
困った時に奪い合うのではなく、助け合えるのです。
それは双方にとって、とてつもない努力と忍耐と時間が
必要になることでしょう。
それはとても難しいことです。
とても難しいことですが、挑戦する価値があることだと思うのです。
世界中の国が打算も、掛け値もない友人同士になれる
そんな素敵な未来を、日本国長崎県に住む私は、切に望みます。

 今、日本では原子力発電所が続々と再稼働しています。
”世界で一番厳しい基準をクリアしたから安全です”
と、日本は一度崩れた安全神話よもう一度と、言わんばかりに
”今度こそ安全” と太鼓判を押しています。
 海外の国では、もし事故が起こったら……と、
最悪の想定をして対策を立てるそうですが
日本は「安全だから絶対大丈夫です」と
国の機関が ”お墨付き” を与えます。
福島原発が事故を起こす前もそうでした。
福島原発が事故を起こした後も体質はそのままです。
「少し基準を厳しくしたから、さぁ、これで安全」
と、上の人が言ったからと、メディアはそれを伝えます。
国民が不安になる事は、隠しているのです。
除染で出た放射能汚染土も、
基準以下だったら道路工事用などの資材に使う事ができる
という法律が通っています。
ご存知でしたか。
日本には今……たくさんの原発があり
多くの放射性物質を保有しています。

 非核三原則というのが、ありましたよね。
”核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず”
現在の日本は核兵器を作ってはおらず、持ってもいませんが
核兵器の材料は原発で作られていて、材料を持っている状態です。
材料さえあれば、核兵器に転用することは容易いでしょう。
また、最後の持ち込ませずは、現状では守られていません。
原子力潜水艦が度々日本の港に寄港しているからです。
原子力潜水艦は原子力でエネルギーを作り
燃料として利用していますが
軍事目的の潜水艦ですので、あれは核の兵器です。

 福島原発の話に戻すと、空中に舞った放射能は
海に落ちれば海を汚染し、陸に落ちれば国土を汚染します。
気象庁はそのデータを公表していません。
なぜでしょう。
 原発事故が今、報道されているよりも実際にはもっと
深刻な汚染をしている事を国民に知られては困るからでしょうか。
なぜ困るのでしょう。
責任問題を追及されて、役職から解雇されてしまうからでしょうか。
国民の安全よりも自分の面子が大事だからでしょうか。
それとも、国民が原発の危うさを知って
原発に対して多くの人が反対をすると
莫大なお金の儲けが無くなってしまうからでしょうか。
 国は、国民のことを第一に考えるべきものだと思います。

 私は、長崎の原爆祈念日に合わせて
この自分の意見を書きました。
それは72年前の今日、8月9日に原子爆弾を落とされて
尊い命を失った方や
今も放射線障害の影響を受けて苦しんでいる方
体にまだ明確な影響が出ていなくても
いつ影響が出るか、と不安を抱えている方
その地域に住んでいたから、という理由で迫害された人々の
”世界に、もう核はいらない”
”核を捨て去りたい”
核ではない形の、もっと調和した愛に溢れる世界の実現を
私が心から切望するからです。

2017年8月6日日曜日

自転の遅れから実際にどんな影響が出るのか

時間が短くなっているという。
どういうことかというと、
地球の自転が遅れてきているということらしい。
なぜそういうことが言えるのかというと、
1964年5月にメキシコで、とある国際会議が開かれたのだそうで、
会議で討論された内容は、太陽系のことを扱ったものが
特に多かったらしい。
『いま、太陽系は変化しつつあり、地球の自転が遅れている』
ということだった。
具体的には1964年5月時点で、1分45秒遅れていると
異星人から指摘されていたのだという。
(「ムー:7月号」より)

一つの時点のデータだけでは実際に
どれくらい遅くなって行くのかを測ることができないので
別の本を読んでいたら二つ目のデータを発見した。
2008年12月時点で、約8時間遅れているとのこと。
(「プレアデスメシアメジャーが示す
「未曾有の大惨事」の越え方」より)

異星人からの予測データを図に描いてみると
0(基準点:時間の遅れが無い時点)から
→X(地球での西暦年),↑Y(宇宙時間(実時間)との時間差)

正の2次関数の正のように
右斜め上に向かって曲線を描いていた。
異星人の予測よりも
実際の2つ目のデータは基準点に寄っているので
自転の遅れは、
異星人の予想よりも早く進んでいるということになる。

その辺の計算は、もっと頭のいい人に任せるとして
ここでは実際にどんな影響が出るのかを想像していこうと思います。

もし宇宙時間は実時間だと考えるとすると
地球時間は仮時間という考え方になるでしょう。
私の見立てでは(すみません、計算方面はめっちゃ弱いです)
2017年8月現在は、
実時間24時間=仮時間15時間54分となっています。

仮にこの差が拡大していくと…

例えば極端な例を引き合いに出すと
実時間24時間=仮時間3時間の場合
地球上の時計が3時間動く間に
宇宙空間では24時間(=1日)が過ぎる、という現象が起きます。

地球上の時計を見て行動基準にする私たちは、
地球上の時計によらない性質のものに
振り回されることになると予想されます。
例えば…食べ物の消化スピード,体に蓄積する疲れ,
尿が膀胱に溜まる速さ、など。

食べ物の消化スピードを例にとると
実時間24時間=仮時間3時間の場合
(この時間比は極端すぎますが)
仮時間を24時間とすると、実時間は192時間に相当します。
つまり、
実時間192時間=仮時間24時間 です。

地球上の時計の行動基準に合わせて
普通に1日3回ご飯を食べたとしたら
実際は192時間を過ごす間に必要なご飯の量の
8分の1のご飯を食べたことになるでしょう。

もっとわかりやすくいうと、
ご飯を食べて、お腹が減ったと感じるけれど、
時計を見たらまだ40分しか経っていない
という事が起こるということです。

じゃあ宇宙時間に合わせて生活するぞと意気込んでも
宇宙時間に合わせて生活するには地球の上ではあまりにも不便です。
なぜなら、いつも通り太陽がのぼり、昼と夜が分かれているから。
なぜ不便かと具体的にいうと
人間の睡眠・覚醒のリズムは
太陽光の刺激(紫外線)の量によって支配されているから。
実時間に合わせて寝ようとしても、
もしその時間帯が朝〜昼〜夕方だった場合は
なかなか寝付けないでしょう。
実時間に合わせて起きていようとしても
もしその時間帯が夜だった場合は
とても眠くなり、うとうとしてしまうでしょう。

話は少し変わりますが、
時差ぼけという言葉を聞いた事があると思います。
これと同じ症状が現れるようになると思います。
少しずつ、より強く、です。

人間の睡眠・覚醒のリズムは太陽に支配されています。
地球上の時計は太陽を基準に決められています。
その他の体のリズムは実時間に支配されています。

人間の睡眠・覚醒のリズム=地球上の時計
地球上の時計≠その他の体のリズム
つまり
人間の睡眠・覚醒のリズム=地球上の時計≠その他の体のリズム
ということです。

さっきは時差ぼけといいましたが、
自律神経失調症のような症状
と言い換えて差し支えないように思います。
〜〜
めまい、冷や汗が出る、体の一部が震える、
緊張するようなところではないのに動悸が起こる、
血圧が激しく上下する、急に立ち上がるときに立ち眩みが起こる、
朝起きられない、耳鳴りがする、吐き気、頭痛、微熱、過呼吸、
倦怠感、不眠症、生理不順、味覚障害といった身体症状

人間不信、情緒不安定、不安感やイライラ、被害妄想、
鬱状態など精神的な症状
(wikipediaより)
〜〜
身体症状が先に出る人もいれば、
精神的な症状が先に出る人もいるでしょう。

話を大きく飛躍させるとトンデモに思われてしまうでしょうが
これが原因で凶悪犯罪や暴動、
果ては戦争も起きてしまう可能性がありそうですね。