2017年10月19日木曜日

ニビルが見れない私 → ディザイア:水のようにしなやかに生きたい → あらまほし:支え合い

この天気は日本バリアの目隠し効果なのか。

曇時々雨、そんな状態が続いている。
少なくとも、21日までは曇が空を覆っているだろう
そう、思われる今日この頃。

朝日や夕日をじっくり観察できれば
ニビルと言われる惑星Xを見つける事ができるだろう。
少なくとも、早起きが苦手な私は
朝日を見る時間に起きることは難しいし
よしんばそんな時間に起きたとしても
朝日を見るために外を見る
ということはしないのだ。

次は夕日の言い訳。
住んでいる地域からは、少なくとも家からは夕日は見えない。
なぜなら山が西にどーんと立っているから。
動画でニビルが夕日のそばに並んで写っている動画を見た。
私も日本で見られるだろうか
いや、訂正。
本当にニビルきているのか
私の目で確かめられるならそれに越したことはない
と空がオレンジ色に染まったのを見計らって家の外に出た。
でも山が私の邪魔をした。

例え晴天の日の夕方であろうと
ニビルが見えるだろうと確信して夕日を眺める日本人は少ない。

・ニビルが見えるだろうと確信して
この段階で、目覚めた日本人(1%?)の中で
更にニビルのことを知っていて(X%)
更にニビルが地球に接近をしているということを知っていて(Y%)
更にいつ最も近づくのかの日付まで知っていて(Z%)
更にそれが物理現象だということを認知していて(A%)
更にそれが本当に起こるのだと実感できていて(B%)
更にそれが日本でも朝日や夕日と共に観察できるだろう
ということに思い至る事ができて(C%)
更にその観察を自分の目でしてみようと考えて(D%)
朝日、または夕日が見える時間帯に自分の自由な時間があって(E%)
住んでいる地域が朝日か夕日を見る事ができる条件が整っているか
移動手段として車を所持して
見えるだろう短い時間に合わせて見える地点まで移動する余裕があり
かつちゃんとその時間内までに移動できた場合(F%)
にプラスして
観察するのに十分なほど雲が少ない晴れた日の確率(G%)
は、いかばかりか…。

ニビルを認知していない人がたまたま太陽のそばにある
丸い何かを見たとしても
正常バイアスだっけな
慣性の法則のようなものが時間軸というものや
人間一人一人が持っているそれぞれの日常とか
精神面や心理面にもどうやら働いているようで
まぁ、とにかくそういうのが働いて
見なかったことにする、という
脳の情報処理から認知までの間での不思議な現象が起きる。
不思議というかなんというか
理性を司る大脳新皮質が
これは日常じゃない
日常じゃなければ非日常が起きているはず!
でも、そしたら予想外のことが多すぎるだろう
そしたら自分(その人)のいろんなところ
(日常,精神的バランス,生きる意義など)
が壊れてしまうだろう
そうなったら、自分(その人)にとって
自分らしい(と思い込んでいる)
社会生活という名の日常(と型を決めて思い込んでいる)
を送ってぶっちゃけ死ぬまで日常が続くんだ
と思っている、その根本をぶっ壊す非日常は
自分(その人)にとって想定外なので
「ん、見(認識し)なかったことにしよう」
となる。

けれど、その認識の外に外したはずの想定外が
事実となって怒涛の勢いで押し寄せてきているのを
見て見ぬ振りをしているのだから
実感したときの衝撃は、それはもう凄まじいものだろう
と、私は思う。
彼らの認知しなかった想定外の自体が全て現実になって
目の前に現れて壁のようになって立ちはだかるのだから。

これを全員が全員直視させられるのだろう。
どういう形かはニビルが最接近する場所と
その人(あなたかも、自分と置き換えてみよう)が
住んでいる地域との関係によるだろう。
海岸が面していれば津波が襲ってくるだろう
この場合
方位は問わない。
なぜなら津波は波だから回折するため。
津波の大きさも問わない。
距離や波の干渉によって規模の差異が出るため。
津波の温度は問わない。
距離や海流の温度や水塊の位置や温度によって変化するため。

海水には様々な汚染物質が溶け込んでいるが
それによる汚染やら地域差によってどのくらいどうというのも
上の津波という現象一つの例で挙げたように
言い出したらきりがないので割愛する。
もちろん、津波が来たらそのあとの諸々の
煩雑で
嫌な
めんどうくさいことや
衣食住ほか多岐にわたる障害の取り除きから復興
そして個々人がこれが日常だ
と思えるものになるまでの非日常は
それはもう、想像するだに恐ろしいほど
長い時間が必要なのではないだろうかと私は想像する。
想像もするが、私もあんまり想像したくないし
いちいちその私の個人的な想像と言っている
妄想かもしれない産物を
事細かに誰も見ないであろうブログで微に入り細に入り
書くのは時間の無駄だと思うので割愛する。

とにかく、だ、何日か後に非日常が襲ってくるだろう
と、私の頭はシュミレートしている。
これだけは言える。

で、『しなやかに生きる』ことができるようになりたいなぁと
思う今日この頃。
どこまでもしなやかに、柔軟に
いくら硬いものがぶつかって来ても
自分が壊れないように。

硝子(ガラス)じゃだめなんだ。
多分、水のように、でないと、ね。

欲望というよりも多分これは切望に近いんだと思う。
- 私はまるで水であるかのようにしなやかに生きたい -
そう、想う。

そのためには興味の種を見つけて水をあげなくちゃ。
ちゃんと芽が出るように…そのうち大きく育つから。
その芽を大切に育てるように興味を持った分野を更に見て
更に気になったところを細かく知ろう。
本葉が出たら、双葉は落ちても構わないのだから。

いろんなの興味の種子を見つけよう。
気になることなら、なんでもかまわない。
大樹になるまで律儀に待つ時間はない。
時間は、有限なのだから。
なるべく多くの種を蒔こう。
芽が出ない種があっても、かまわない。
草の種であっても、球根でも、羊歯や苔、キノコでもいい。
私の小さな心を覆う雑多な森ができる。
そしたら、スコールが降っても土砂崩れは起きにくくなるだろう。
周りが砂漠になっても、そこだけはオアシスになれるかもしれない。
そんな想いを託して…。

願わくば、乾ききった周りの人の心に水を分けてあげられるように。
そして、彼らのうちの何人かでも
その心の砂漠のどこかの1つでも ”種” があれば
芽が出てやがて大きくなる。
やがて花も咲けば実もつけるのだ。
実には次の種がある。
種は次の木になる。
ゆっくりでもいい
こうやって、次々と増えていけばやがて
その人の心に潤いを取り戻すことができるようになるかもしれない。
壮大な時間の果てに、いつかは…さ
日本よりも地球よりも宇宙よりも大きな単位で
そういう「支え合い」ができるようになればいい、と想うのだ。

2017年10月18日水曜日

認識の専門化 もしくは認識の詳細化について

人間というのはどうも、自分に近いと思うものが
はっきり区別できるようだ。

私たち人間と言われる生き物は
自分との距離が近い(心理的,相違点,遺伝的要素,距離,時間etc…)
と感じる度合いが強いほど
見分け、聞き分けなどのいわゆる五感の感度が鋭くなるようだ。
(同じ法則が当てはまるなら、第六感も鋭くなるかもしれない)

例えば
イルカのトレーナーは
担当しているイルカの個別認識ができるが
ショーを見ているお客さんは
イルカの個別認識ができない。

例えば
AKBのファンからみれば
自分が好きなメンバーが歌っているなら
48人が一斉に歌っていても
そのメンバーを見つけ出す事ができる。
しかし、AKBのファンではない人から見れば
AKBが歌っているね、とか、アイドルグループが歌っているね
という曖昧な認識となる。

これはもしかすると認識の専門化
もしくは認識の詳細化というものなのかもしれない。

好きこそものの上手なれ、とは
自分が興味を持った分野と自分との
心理的な距離を縮める事で
その分野について学習するという
いわゆる興味のない分野を学習する心理的苦痛を
緩和する機構があることを結果的にか道理的にか
示しているように思う今日この頃。

つまりね
親しみを感じていない人が異星人と遭遇しても
個別認識はできないんじゃないかなぁ、と思ったのです。

逆にいうともしかしたら
異星人が公に姿を表すのは
地球人全体が異星人に興味を持つとか
好意を持つとか親しみを覚えるとか
そういう段階に入ってからになるかもしれないですねぇ。

2017年10月17日火曜日

最近気になる場所:七ツ釜鍾乳洞

最近気になる場所がある。
七ツ釜鍾乳洞だ。

◆七ツ釜鍾乳洞(HP)
→ http://www.saikaicity.jp/cave/

地質が古代三紀
(6,600万年前から2,303万年前までの時代)のものらしく
また、日本の鍾乳洞の形成の多くは
約2.5億年前の古生代後期に形成されたものが多い中
ここのものは約三千万年前の新生代に形成されたとみられることから
天然記念物指定をされたという珍しいところ。

ケイ素系樹木の考えで、この洞窟を見るとすれば
少なくともこの鍾乳洞という木の根を持つ木の本体が
何らかの要因で生命活動ができなくなった時の年齢は
約三千万歳であった…。
日本で見つかっている大半の木の本体が
何らかの要因で生命活動ができなくなった時の年齢が
約2.5億歳であったことを考えると
かなり若いケイ素系樹木だということができるだろう。
そういう意味で珍しいため、天然記念物指定をされた…。
という解釈になる。

まぁ、そこは置いておいたとしてもここの鍾乳洞は
いくつか気になる点があって…

1)名前に数字が入っている点
数字が名前に入っている日本の山はUFO関係の
なんか、エネルギーが集まっているか出ているか
しているところという話を聞いたことがあるから
その関係で気になった。

2)固有種のナナツガママンネングサ
ハコベマンネングサという別名があるらしく
これと同じ植物は、中国大陸に分布していて
で、日本では七ツ釜周辺でのみ見られるという珍しい植物。
予想としては…
この鍾乳洞(石灰分を多く含んだケイ素系の植物の根)は
中国大陸に本体があった樹木の根なのでは?

3)七ツ釜鍾乳洞の伝説
佐世保市の住人松田始氏の、或る夜の夢枕に不動明王が立ち現われ
「ここに清水洞から東北四町四十六間の山中に大岩眠りあり
これにより不動明王を刻みなば、清水洞と併せこの地に
百万の信者、観光客を迎えるべし」とのお告げがあった。
早速に探索の結果、くだんの大岩を発見
それを刻んで建立したのがこの不動明王だという。
(HP「日本珍スポット100景」様より)
これ、夢関係なのでなんとなく気になります。

wikiには
観光洞の最終地点から分岐し、千枚積まで到達する
未公開区域(約600メートル、2時間)の公開は
イベント時や団体客対象に行われるため、申し込みが必要。
と書いてあるので、機会があれば
行って見てみたいなぁと思う今日この頃。

神について〜循環するモノ

異星人も未来人も神なのかもしれない。

昨日、カテゴリー毎の神について考えたなぁと
考えを巡らせてみると、どうも
神っていうのはランクの名前のように思えて来た。
ランクにつけられた名称、ちょっと違う意味だろうけれど
「神」というカテゴリー…いや、これで合っているのかもしれない。
神という名の称号のような…あー…
そんな幾つかの要素が合わさった呼び名が
「神」というカテゴリーなのかもしれない。

それを考えると
今の人類よりテクノロジー、精神構造、体構造などが
遥かに進んだ異星人は、今の人類からみれば神ですし
また、未来人は、規模は違うだろうけれど
少なくとも今の人類よりは色々と進んでいると思われる。
また、地底人と言われる人々にも色々いらっしゃるだろうけれども
たとえアトランティス文明の生き残りであろうとも
巨人族であろうとも、また、そのような他の過去の文明の方であっても
今の人類よりも様々な面で上位の方達のようなので
やっぱり彼らも今の人類から見れば
「神的な立場」になるのだろうと思われる。

また堂々巡りになりそうだけれど
つまるところ
私たちにとって「神のように思える存在」は、いっぱいいて
宗教で例えるなら
多神教も認識としてはあっているし
「神のように思える存在」を個々ではなく
「神カテゴリー」を単体のものであると捉えると
一神教の「神(GOD)」と認識しても
矛盾がないように思えるように
「神」もまた1つなのだ。

1人ではない、1つなのだ。

1つのカテゴリーに所属する複数の存在
そのカテゴリーを指して神といい
複数の存在を指して神々という。

そして、神々を構成する複数のグループがあり
そのグループの一つを指して
異星人と言ったり
未来人といったり
地底人といったりetc…
私たちはグループの名前を呼んでいるわけか。

もちろん、自分で自分を神だと名乗るのは、ちょっと違うというか
慢心があるのかな、と思わなくもない。
「ボクは神に違いない」という猫の如く…。

私がそう考える理由としては
周りの人からそう言われるのは
周りからの評価で自分の恣意は入っていないのだけれども
自分でそれを名乗るのは
強く言えば、驕(おご)りが見えて、こう…私的には興醒めする。
というか、なんかそれ、違うんじゃない?
って思っちゃう。

そう思えてしまう私の視点から見ると
自分たちを神だと名乗る存在は、まだ欲というか
我欲が強いというか残っているというか
そんな風に思えてくる。

もちろん、欲がなければ生きることができないのだから
それはしょうがないのかもしれない。

ただ、私の基本的な考え方として
生きている間はどの段階でも成熟途中で
熟したらぽとりと自然に実が落ちるように
死ぬのではなかろうかと考えている。
熟したら、は、つまり、完成したら、ということだ。

なぜ死ぬのか。
完成した実を地面に落とし、次の類似する何かを作るため、かなぁ。
実が落ちて種から芽が生えるけれど
それは実をつけるためか
種を落とすためか
種を育てるためか
もっと多くの実をつけるためか
果肉を食べる存在を喜ばせるためか…
答えは一通りではない
そして、今のところ、およそ言えるであろうことは
それ自体が循環しているモノであろう
ということなのだと思うのだ。

2017年10月16日月曜日

おそらくジャガー氏からのアドバイス

多分ヒントというか、警告文というか
アドバイスなんだろうなぁと思う。

2062年から来た未来人は
現在はデマだったと言われているけれど
私は、そうは思わない。

根拠は、面倒臭いのでここには書かない。

第七暗号メッセージの上の画像に半分以上文字が隠れていて
文字と認識しないようにこっそりアドバイスが追記されている。
前見たときは、このアドバイスは無かったと思う。

「第五メッセージ-4」 (=山に登れ)

実は、これは第七暗号メッセージに出て来たアドバイスの内容と
一致している。

第二弾の音声公開に先立って、場を2つ目のHPに移したのも
暗号が書かれている1つ目のHPから人を遠ざけるためだったのでは?

で、こっそりアドバイスが書かれている。

私自身は、暗号を解けなかったというか
面倒臭くて暗号を解くのを途中で放棄したクチだ。
ぶっちゃけていうと
細かい詳細は分からなくてもいいと思う。
このあたりの時期に、この辺で
こういうことが起きる可能性がありますよ、ということ。
その辺りを知ることさえできれば
専門分野の人ではない私は、逃げることに困らない。

こんなゆるい感じで把握できた私はこのブログに何を書こうか。
もっと細かいところまで面倒臭がらず暗号を解けば
時期も約半分の範囲に限定することができるんだろう。
それって、かなり大きい気もするけれど
まぁ、なんとかなるさ。

ただ確実に言えることは
【防衛省の出す避難命令には従った方がいい】
に尽きると思う。
で、逃げるなら高地に限る、ということかな。
ちなみに高地とは、標高が高い地域のことですよっと。

魔法の正体〜神とは?

最近、「魔法」の正体が分かった。
スピリチュアルのカテゴリーでは
「引き寄せの法則」と言われているものだ。
科学のカテゴリーでは「原因と結果」みたいな内容で語られるし
宗教のカテゴリーでは「因果応報」と言われるもののようだ。
現代の日本人のカテゴリーでは「夢と現実」
そして、いわゆるファンタジーのカテゴリーでは「魔法」と言われる。

火をつける魔法がある
問題は、どうやって火をつけるのか。

・マッチで火をつけてもいい
・ライターで火をつけてもいい
・チャッカマンで火をつけてもいい
・ガスコンロで火をつけてもいい
・タバコを吸っている人から火を分けてもらって火をつけてもいい
・焚き火の熾(おき:火種がわだかまっている残り火のようなもの)に
 燃えるものを追加して火を継いでもいい
・火打ち石で火をつけてもいい
・まいぎり(火起こしの道具)を使って火を起こしてもいい
・ファイアスターターを使って火を起こしてもいい
・雷から火を取り出してもいい
・念じて火を発生させてもいい
・気を使って火を発生させてもいい
・異次元の扉を開けてそこから火の要素だけ取り出してもいい
・火の精霊の力を借りて火を発生させてもいい

ただ、その瞬間に「ファイア」と呪文を唱えれば
「ファイアの魔法」を使って火が出たということになるし
「メラ」っていえば「メラの呪文」を唱えた結果
火がついたということになる。

ファイアとメラの違いは個別世界観カテゴリーの違いによる。
このカテゴリーの違いにより同じ現象を違う名前で呼ぶのだ。
このカテゴリーの大きさも違うし
火をつける原理の複数のカテゴリーの要素を複合したものもある。
それ毎に目に見える形が変わるので別の名前をつけるようになった。

ちなみに、メラとメラミとメラゾーマは
現象の量や規模の大きさの違いによる分類だろう。
そして、属性の違いで氷系、雷系、風系、樹木系、
大地系、精神系、…
以下エンドレス、と書きたくなるほど
数多くのカテゴリー分けがなされている。

でもそれっていわゆる「自己実現」と言われるものではないか。
そう、「魔法」とは実は「自己実現」のことだ。
ただし、周りの人には「魔法」に見えるのだ。

いわゆる”魔法使い”は物事の起こる仕組みや原理を
自分なりに研究して、モノにした人たちのことであろう。
だから彼らは口を揃えてこういうだろう。
原理と方法が分かれば、その原理を正しく起こすべく
その方法にきちんと沿った手順を踏めば
結果が出る、と。

しかし、結果だけを見た周りの人は
その原理や、その方法を知識として知らないために
”不思議な力が働いた”と勘違いをし
魔法だ!
というのだろうと私は思う。

魔法使いから見れば
他の人も「原理は違えど同じ自己実現」をしているのに
原理と方法を理解しようとしないために
ちょっと他の人と違う方法で自己実現をして見せたために
「魔法使い」というカテゴリーに区分されてしまった
と思っているかもしれない。

その原理が分かった気がしたレベルの私がここに付け加えるなら
魔法使いと呼ばれる彼らは、どういう理由であれ
周りの人に溶け込む努力を怠ったのではないか、と思う。

完璧な人間などはいない。
けれど、完璧になるために努力することはできるのだと思う。

もしこの世に神という存在がいるのだとすれば
周りの人に溶け込んで、「異端な人」という
後ろ指を指されない人なのではないかと思う。
かといって、無知ではなく、様々な物事に精通しているのだろう。

神とは、欠点がない状態を表すカテゴリーなのだと思う。
また、欠点がない状態であっても
その度合いや規模がどうであるか、によって
”神”のレベルや位置付けが変わるのだと思う。

限定した範囲の中での神もあるだろうし
薄く広く物事を知っている神もあるだろう。
そう考えれば、神なんて特定の誰か1人なんかではなくて
人間の一人一人が何かしらの神なのかもしれない。

2017年10月15日日曜日

奇妙な一致

久し振りに「曹操」という歌を聴いている。

中国語の歌だけれど
作者の曹操へのリスペクト振りが伺える作品でとても興味深い。

私自身も、【歌ってみた】で歌ったことがあるのだけれど
その頃から発音が面白いなぁと思っていた単語があって

bu qing
不清
プーチン

これなんですが…
当時から、あはは、プーチン大統領と同じ発音なんだと思って
軽い気持ちで歌っていたんですが…
改めてみて見るとこう…ね…。
中国とロシアは隣同士の国だけれど…まさかね?
奇妙な一致になんとも苦々しい思いを抱いたことでした。

『前出師表』現代意訳

少しばかり前から縁があって
孔明の前出師表が手に入ったので
現代語へ意訳していたのが完成したので載せておこう。

=====
臣下の亮が申し上げます。
先帝の劉玄徳様は、道半ばで亡くなられました。
天下の現状は、魏・呉・蜀の三国に分かれており
我が国の要である益州の者たちも士気が上がらない状態です。
これは本当に、この蜀という国家の重大な危機なのです。
そのような中にあっても
あなた様の身の回りの世話をする者たちは
変わらず誠意を持って仕事に励んでいます。
この国のためにと戦いに身を捧げる兵士達は
まさしく先帝の遺志を継ぎ、あなた様のためになりたいと
心から思っているのです。
ですから、今は亡き玄徳様がされてきたように
彼らの意見を広く聞き入れ、兵士達の士気が上がるような
政策を行うようにされてください。
そして、ご自身の弱点を探して嘆いたり
失敗を恐れるあまりに時代の趨勢を見誤り
それが原因で彼らのアドバイスを聞かない
ということが絶対に無いようになさってください。

宮廷と行政府とが一体となって
賞罰を正しく与えるようにされてください。
もし、たくらみを企て間違いを犯す人や
国にとって善いことや、忠節があり義をする人がいれば
必ず役人を通して、その刑罰や賞がどの程度であるかを話し合い
この事を通して、陛下が皆に平等で後ろ暗いところなどない
という事を、国民の誰が見ても分かるようにされてください。
決して、不公平をして法律を曲げる事をなさりませんように。

大臣の郭攸之(かく ゆうし)・費禕(ひ い)・董允(とう いん)ら
におきましては、素直ですが思慮に欠け
国に対する忠誠心が足りません。
劉備様は、彼らのような素直な人材を
あなた様の今後を支える人材として選ばれました。
私が思いますに…
政治のことは、物事の大小にこだわらず
全てを彼らに相談した後に実行に移せば
必ず、よく欠点や手落ちを補って
良い政治を行うことができるでしょう。

将軍の向寵(ほう ちょう)は善良で公平であり
軍事に関しては精通しております。
彼は十年ほど前に仕官した際に、その才能がお父上の目に止まり
また、軍や内政の皆で話し合って
彼に最高司令官となってもらったという経緯があります。
私が思いますに…
軍事関係のことについては事の大小を問わず
全て彼に意見を求めれば必ず、よく軍事を行い
不利益とならない場面で和を結び、蜀の利益となるでしょう。

我々は賢い人と距離を近くして親しみ、愚かな人を遠ざけています。
これは、お父上の祖先が漢の国を興された時のように
最上の政治のやり方なのです。

愚かな人と親しみ、賢い人を遠ざけた例は
後漢の時代に国が傾いた事に挙げられます。
これは、最も悪い政治のやり方なのです。

お父上が生きていらっしゃった頃に私と、この事を話し合う度に
お父上は必ず後漢の桓帝(かんてい)と霊帝のなさった政治に対して
非常に悲しく残念だと仰られていました。

先ほど挙げた3名の大臣の他にも
陳震(ちん しん)・張裔(ちょう しょう)・蒋琬(しょう えん)の
この3名はとても忠実で賢く、また節操がかたく心の朗らかな人です。
陛下が彼らと距離を親しくして信頼厚くされる事を
私は心より願っております。
そして、漢が栄えた時のように蜀が変わるのを
日、一日と数えて、待つだけでよいのです。

私は元々平民の出身でして
南陽という地で自ら畑を耕しておりましたが
乱世の時代に入りまして
周りの者は名を成そうと出世する中で
私は、それをしておりませんでした。
お父上は私の卑しい身分を問題になさる事なく
貴い身分でいらっしゃるのに
私の住んでいた粗末な家にお越しになり
三顧の礼をも尽くされました。

そして、私めに
「この乱世の世の中をどうすれば皆が心安らかに
暮らせるようにすることができるだろうか」
と、お聞きになったのです。
この出来事に私はとても感激しまして
お父上の許される限りにおいて
私も彼のためになろうと心に決めて、今日に至っております。
そして、長板での引き際にお父上から役目を授かって呉へ赴き
孫権を説得致しました。
これが私の初陣です。

その日から、かれこれ21年が経ちました。
お父上は、私が彼をどれほどお慕いし
また、身を尽くしていたのかも、ご存知だったのでしょうね。
だからこそ崩御される直前に私めを側に寄せられて
あなた様の補佐を私に託されました。

その命を受けてからこれまで
私は朝に晩にと、お父上が託された大事を
お父上が望まれていたように私ができているだろうか
力不足ではありはしまいか、と思い悩みました。
それは、引いてはお父上の名誉を傷つけることとなるからです。

ですので、建興(けんこう)3年5月に
瀘水(ろすい)を渡って南蛮へと赴きました。
そして、かつて南蛮と言われた地も
蜀の一部として地勢としても安定しており
兵も軍備も兵糧も、万端に整っております。

今、まさに三軍に令を発し
北に位置する魏の中原地方を平定すべき好機です。
叶うならば、愚かで姑息な曹一族を一掃し
これを機に、お父上や皆の悲願である漢室を復興し
あなた様のご先祖様がいらっしゃっていた
あの長安や洛陽(らくよう)に還りましょう。
これは、あなたのお父上の悲願であり
私があなたのお父上から託された蜀の一大事業なのです。

国にとっての損得を秤にかけ
あなた様を今までも、またこれからも様々な方面から諌めるのは
先に挙げた攸之(ゆうし)・禕(い)・允(いん)の役割です。
もし私の願いが叶うなら、あなた様には是非
賊を討ち、漢室の復興という大仕事を私めにお任じ頂きたい。
成果が無ければ、私の罪をお父上に報告してください。
もし、私の進言通りに政治を行っても国が良く治らないようであれば
どうぞ攸之・禕・允の怠慢を責めて
その罪を明らかにされてください。

あなた様もまた、きちんとご自分でも
うまく国を治めることが出来ているかを確かめつつ
よりよく治めるにはどうすればよいかの方法をいろんな人に聞いて
その上で、よいと思う意見があったらきちんと取り入れ
お父上の遺言を守られるようにしなくてはなりません。

私は、あなた様を見る度にお父上のことを思い出し
お父上の、今まで私へ掛けられたお言葉の数々や
その、お心を想い出す度に
今この瞬間でさえも、とても強く心が動かされ続けています。
しかし、もう行かなければなりません。
この手紙を書くにあたって、涙がこぼれ
もう、これ以上何か書くことも出来そうにありません。

期日前投票

期日前投票をして来た。

理由?

とりあえず軍産複合体側の政権にNOをいうため、ですかね。
野党連合の後ろに中韓ロシア側がいるのは知っているので
しばらくは個人的に好ましくない体制が続くのですが
他に入れる人も政党も皆無なのがどうしようもない感じ。

投票権自体、義務ではなく権利なので行使しないこともできたのですが
投票を棄権したり白票や無効票を投じると
自民党の現政権側に若干有利になるというのをwebで見まして…。
かといって中韓ロシア側が私にとって好ましくないのが
分かっているのにそれを票を投じるのは
片棒を担ぐように感じて
本当はあまり嬉しくなかった。

数日、行くか行くまいか考えて、結局行くことにした。
1番の理由は、さっきも書いた
『とりあえず軍産複合体側の政権にNOをいうため』。
2番目の理由は
今が移行期だから、かな。
変えようと思わないと変わらないなら
片棒を担ぎたくないと傍観するのは
いじめを傍観する準加害者と同じだと考えたから、ですね。

移行期なのだから、どんどん動かすしかない。
そう、どんどん自分が望む方向へ、よりよいと判断した方向へ。
澱が溜まるのは流れが淀んでいるからなのだ。

じゃぁどうすればいい?
とりあえず今ある澱を押し流すしかない。
まだ澱が残っているね。
じゃぁ、また流そう。

これの繰り返しをして行く必要があるのだろう
と思う今日この頃。